09-04 monday

すっかり秋気配・・・
南沙織やトアエモアの歌、思い出しちゃう・・・・
あはは・・・
さて、土曜日。
マリブでJPSA主催のSUPER HEATがIT’S ON!!!のアナウンス。
朝4時起きで出かける。
が、
ONするにふさわしい波は届かずにPUT OFF!!!!
延期の憂き目にあう。
自然相手仕方ないです。
なかなか波を当てるのはたいへん、
特に日本は、ね!?

土曜日の波!
マーの前を堂々DROPするダイカイリク~~~!
マーから「Go RIKU!」の声がかかったのは当たり前っす。
このサイズだものね、
お子様向けでSUPER HEATにゃサイズ足らずです・・・・
photo by 神尾君、拝借しましたよ!

これから、本題。
秋の夜長、ゆっくり読んでくだせぇまし!
波を当てるのは難しいというお話・・・
もう20年以上も昔の話・・・
たぶん夜だった。
春の宵だったと思う。
おれが運転して
助手席に川井幹雄先生。
後部座席にノンキーのハルちゃん、
アウターアイランドの見目さんがいたかもしれない。
助手席の川井さんが
「今年おれ30周年なんだよね!?」
ボソッと言い放った。
「へぇ~、結婚30年ですか?」
「違うよ!サーフィンはじめて30年ってこと!」
「ほぅ?」
「でな、なんか記念になることやりたいんだよ!
なんか良いアイデアないか?」
車は部原でチバプロかなんかのミーティングがあった帰り道。
マリブの辺りを走っていたと思う。
春の月に照らされた海面がキラキラしてたのを覚えている。
なんとなく、
ほんとになんとなく、
「マリブでインビテーションとかいいんじゃないですか?
台風SWELLを待ってやったら最高でしょう?
みっちゃん(照岡先輩)とかローカルに協力してもらって
そしたらそれが最高のお祝いになるんじゃないですか!?」
その一言が地獄の始まりにつながるとは思いもよらなかった。
「いいねぇ!
修平、おまえいいねぇ。
いいアイデアだわ!
それやろう!
実行委員長頼むな!」
「承知しました!」
安請け合い、これが地獄の一丁目・・・・・
その春の宵から夏が過ぎて
いよいよ台風シーズンの秋がやってきた。
いくつかの台風は来るもののON!するまでには至らず・・・・
11月初旬、
おれは和田町自警消防団に入っていて
その日は消防の旅行会で新潟、月岡温泉に向かうバスの車内で宴会。
朝からたらふく飲んだ。
だって消防団の旅行ですから!
ヘロヘロでホテルに到着。
「さて温泉、からの宴会~~~~!」
と思っているところへ、
「岡田修平様いらっしゃいますか?」
「は?なにか?」
「ご自宅へお電話お願いします。 急用のご様子でしたよ・・・」
当時、携帯電話はまだ持っていなかった。
まだ弁当箱のような形態の携帯だったかもしれない・・・・あはは。
自宅へ電話すると
「川井さんからお電話で、明日マリブのコンテストやるそうです。
修平君がいないと段取りから何からどうしようもないから
明日朝6時には来てくれるようにお願いします!」
まじか?????
結局、温泉に浸かることもなく新潟駅から上越新幹線で東京までとんぼ返り。
東京駅には友人に来てもらい和田まで送迎。
ウトウトする間もなくあれやこれや用意してマリブへ一直線。
「波どうなんだろう?」
そんなこと考える余裕も何も無かった・・・・・
明るんだマリブに到着。
欄干に寄り添って波を眺めるカカイさんがいた。
「無理だべ?これじゃ!?」
その言葉が全てだった。
たまにお愛想程度に割れるコシ~ムネの波を呆然と眺めていた。
その年はそれ一度の招集で終わった。
でも地獄は翌年も続いたのだった。
新しい年がやってきた。
春、夏を通り越し、また台風シーズンの秋。
「今年はやれるといいな!」
川井さんはやる気満々だった。
31周年記念になっちゃうけど、
やらないわけにはいかない様子だった。
「ですね!ぜひ成功させましょう!」
安請け合いは昔から得意技だった。
10月だったと思う。
東日本選手権大会で宮城県、亘理町にいた。
荒浜のbig waveでコンテストは行われていた。
仙台新港が6ftほどのスーパーブレイクを見せていた。
夕刻、一緒に行ったBALIのMADE SWITRAがその日のBEST ONEを決めて
ローカル達から歓迎を受け宴会のさ中だった。
「ここでこれだけあったらマリブやるか?」
少し考える余裕があった・・・・
でも牛タンも美味かったし
宴会も最高に楽しくてもうマリブのことは頭から消えていた。
で、また電話あり!
「明日、マリブやるらしいです!」
去年が上越新幹線なら今年は東北新幹線!
仙台駅から飛び乗って東京駅まで。
SWIRAも同行、
あまりの忙しさに目をパチクリさせた表情が印象的だった。
そして翌朝、マリブ・・・・
去年の朝よりも少しサイズはあるものの
開催には不向きなコンディション・・・・・
新潟からでダメ
仙台からでもダメ
来年はどこから呼ばれるのだろう???
半ばヤケクソ気味に
「来年頑張りましょうね!絶対成功させましょうね!?」
そんなことを言ってマリブを後にしたと思う。
もうどうにでもなれ!
そんな感じだった。
生みの苦しみ、
川井幹雄、30周年記念インビテーションが開催されたのは
それから2年後のことだった。
マリブに素晴らしいSWELLが届き最高な1日だったのを覚えている。
川井さんから
優勝のトロフィーを手渡しされ
「いろいろありがとうな!」って謝辞をいただいた。
「40周年記念やりましょうね!あと6年後だけど!」
安請け合いが得意なおれはその言葉を返したと思う。
40周年はビーチブレイクで
クラシックなシングルフィンを持ち寄ったコンテストになった。
首を長くして波を待つ必要も無く
割とすんなりと行われたイベントだった。
そこで日本のPRO SURFER達を抑えて
ぶっちぎりで優勝したのは
あの仙台からマリブに同行したMADE SWITRAだった。
なんか不思議な縁を感じた・・・・・
波を当てるのは難しい。
特に日本だとなおさら難しい。
だからこそ出会った1本、1本を大事にしなきゃいけないんだ。
長くなりました。
少しの暇つぶしにでもなったら良いのだけれど・・・

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