facebookにはでたらめに1980年代中盤と書いたけど、
正確には1990年代に入ってからだったと思う。
YUこと植田さんがsimonを連れ立ってやってきた。
simonは生ジョッキを普通のグラスのようにビールをグビグビやってたから、
たぶん時節は夏の頃だったろうか・・・・
simonは当時、YUブランドの専属シェイパーとして年に数回来日していた。
国産ブランドをlegend of shapersのsimonが受け持っていたのだから、
なんとも贅沢な時代だった。
それだけ日本のサーフシーンは活況を呈していたともいえる。
ここに一泊だけしたのだけれど、
ベッドから足がはみ出していて寝辛そうだったのを覚えている。
御存知の通り、
simonこそがスラスターの生みの親で、
自らその性能の良さを示したpipemasters,bellsのパフォームは圧巻で、
今だスラスターを凌駕するデザインは生まれていない。
ケリーもsimon shapeをこよなく愛した一人で、
j-bay等ではそのボードで頂点にも立っている。
日本でWCTが開催されていた頃、
マリブでケリーとアンディが戦ったファイナル、
あそこでもケリーはsimon shapeだったと記憶する。
なぜならあの年、
YUはケリーに4本のボードをshape,
その一本はラウンド1で使用され9ポイントをマーク。
「feel so good!」と言わしめた。
が、
それから波がサイズアップ、
ケリーはお気に入りのsimon 6’2でヒートを戦うことになった・・・・
あー、かなり古い話なのでちょっと違うところもあるかもしれません。
週末です。
90年代はこの頃、もうちょいパキッと晴れていたような気がします。
天候は優れませんが、良い週末を!