ルアーデザイナー

世の中には変わった仕事が数多くある。
ルアーをあれこれデザインして、それで生計を立てる人がいる。
その精密な仕事ぶり、変わった商売というのは失礼極まりない。
サーフボードシェイパーにちょっと似た職種かもしれない。
下にコピーした文章は、
そのルアーデザイナーの二宮先生が書いた文章。
御用とお急ぎで無い方は是非一読を勧める。
どこかサーフィンと通じるものを感じ取ってもらえたら幸い、です。

seabassing high by masaki ninomiya

「ライダーズ・ハイ」という状態がある。オートバイ乗りなら誰でも一応の経験がある。スーペリアを駆ってコケたアラビアのロレンスも知っていた。一人で飛ばしているときにふいに襲う一種の昂揚感のことだ。
かくいう私も知っている。まだ二十歳の頃、首都高ではもの足りなくなり、四十万円を持って一月から四月の冬季に、青森と北海道を四千キロ走ってみた。
おかげで片耳は聞こえなくなり、歯はガタガタ、新車はパー、残ったものはヒビだらけのヘルメットと、あの夥しい昂揚感の記憶だけだった。
そういえばあの頃、長期療養で過ごした式根島で、ルアーでヒラマサやエソが釣れた。

「ランナーズ・ハイ」という状態がある。二年前、どうしても味わってみたくなり毎日十キロ走ってみた。マラソンが辛いばかりではないことを初めて知った。 「クライミング・ハイ」というのもある。岩登りは高校生のときからの趣味であり、素晴らしいが、面倒で危険だ。濃密なこのハイを知ってエスカレートすると、命まで保証の限りではない。これは北岳バットレスで墜落して四百メートルの空間を足下に宙づりになってみて、喜んで止めた。
そういえばあの頃の南アルプスのイワナはバカだった。思い出が次々と浮かぶ。
まだまだなんとかハイという状態はある。ただし、私がいうのは人生を狂わすほどの、その瞬間、雄叫びをあげるようなハイである。アインシュタインは、なんと頭の中だけでやってのけたが、凡人は身体を動かさなくては解らない。
思えば私の人生はこれの追求であった。

そして今「シーバシング・ハイ」である。平たく言えば、「昼間美背景低磯上逆風下波かぶり単独鱸ルアー雄叫び釣り」のことだ。私も様々な釣りを経験し、外国へも行ったが、これ以上のことは未だ知らない。
ハイの状態というのは、分析すると、一様に風などの自然の息吹、ホトバシリといったものが、身体を駆け抜けたり、愛撫してくれないと起こり得ない。これがポイントだ。
例えばライダーズ・ハイなら、風を切る感覚が引き金になる。鈍い人なら失恋でもして、感覚をナーバスにして走ったほうがよい。フルフェイスのヘルメットは、できればないほうがベターだ。その辺のことは、暴走族のアンチャンのほうがよく知っている。

スズキ釣りに関して言うならば、理想的には以下のシチュエーションが必要になる。
目が醒めて気合いを充実させるには、一時間はかかる。それぐらいの距離にある釣り場を選ぶ。必要なら回り道をする。車は小排気量のものがよく、それで全力で走る。
さて、釣り場に着き、ライト無用の夜明けを待つ。外は昨夜の予報通り南の逆風で、目指す磯上をときおり波が被う。ループノットで結んだK-TENのフックを爪に当ててチェックする。辺りには誰もいない。水温は十八度以下。これでないと南風の効果が薄い。
身体を預けるお気に入りの岩は房総全体で三十三カ所。波をバンバン被りながらも、安全で魚との間合いを最も詰められる、そういう岩だ。
顔に波しぶきと、冬とはいえ、生暖かい風がゴチャマゼになって当たる。大自然の直接の愛撫である。これで九分の条件が揃った。まだハイは来ない。まず一尾釣って期待を実証せねばならぬ。
東の空の雲間から陽が覗いて、サラシが輝いたとき、最後の条件の一尾目のスズキは来た。ヒューとラインが鳴る。が、これはバラシてもよい。とにかく間合いは詰めた。二尾目を狙うときからである。こうなると波しぶきも避けずにワザと濡れる。方角を指を舐めて知るように、濡れると風や気配といったものに敏感になる。
風を切ってカーボンロッドを振る度に、ラインが風に踊る度に、もうすぐだ「シーバシング・ハイ」がやって来るのは。まだ一部冷静な頭で辺りに人の居ないことを確認して、小さな第一声をあげる。 「オーッ」でも「ヒャッホウ」でもなんでもよい。さらに弾みがついたら、雄叫びを発しながらロッドを振り続ける。声は風にかき消されても、スズキは聞いている。ルアーの周りでモジリ、ハネル。恍惚の時が過ぎる、というわけだ。
思い出せば、バカバカしくもあるが、経験した友人は、ちょっと不適切だがこう言った。初めて女性を知ったときより興奮した、と。

相手にして丁度良い三~六キロの磯スズキによってしか得られない、この「ハイ」を求めて何年経過したことだろう。最近でこそ年に数回は確実に味わえるが、探索時代は無惨なものだった。その間に、前の車は潮を浴びて溶けてしまった。海岸に駐車していると、よく不法投棄車と間違われた。なにしろ窓ガラスは一度開けると、つまみ上げてガムテープで固定しない限り、開いたままだった。そうした敗退行の中から、データが積まれ、いつしかK-TENシステムが生まれ、ある程度満足な釣行が出来るようになった。
しかし、まだまだである。問題が多すぎる。しかし、先へ進まなくてはならない。時間が足りない。

先生がデザインするK-TENルアー。
ルアーも多くのブランドが乱立、
勢いある若手が主宰するルアーブランドも数多いが、K-TENはまだまだ孤高の存在。
先生とか書いたけど、先生はおれと同い年なんです・・・・・